民族の政治とは何か? 第十四回総選挙の結果から見るマレーシアの政治
民族の政治について
東南アジアの島嶼部に位置するマレーシアはその他の東南アジア諸国と同様、言語・文化・宗教などの点で多様な人々が混住しており、必然的に多民族国家となる。その理由は様々なので詳しくは矢野暢の『東南アジア世界の構図』や白石隆『海の帝国』などに預け、とまれマレーシアについてはイギリスによる植民地化によって中華系やインド系の民族集団が大量に移民してきたことを指摘しておくに留める。
植民地時代の大量移民によってマレーシアには先住民族以外の民族集団が多く居住するに至った。結果、独立した現在は人口の約5割を占めるマレー人、約2割5分を占める中華系、約1割を占めるインド系でマレーシアの大半の人口は構成されている。
欧米の状況を見ても民族や人種といったアイデンティティの差異は対立構造を生み出しやすい。この辺りの話に深入りすると本筋から脱線するため福島真人『差異の工学』や小坂井敏晶『民族という虚構』などを参考にしていただきたい。なお、こうした二項対立を揺るがす哲学的議論であればジャック・デリダの「脱構築」論が面白い。
人種や民族などアイデンティティによる対立の原因は杉田敦『境界線の政治学』、William W. Goldsmith『Separate Societies』に詳しいが、政治的な対立に限定するならば利害関係が先鋭化しやすいからであろう。 出生地に関する事例であれば、同じイギリス系白人にもかかわらず本国イギリス生まれか新世界アメリカ生まれかで待遇が異なったことで独立運動が激化した帝国時代のアメリカがわかりやすいであろう(ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』)。
4年や5年などの間隔で周期的な選挙が行われる国家は多いが周期的な選挙が必ずしも民主主義的な国家の十分条件であるとは言えない(詳しくはロバート・A.ダール 『ポリアーキー』の第一章を参照されたい)。選挙が周期的に行われていても執政党が政権を握り続ける仕組みが構築されていればそれは民主主義とは程遠いであろう。
競争的権威主義(competitive authoritarianism)体制という政治学的概念がある(Levitsky&Way『THE RISE OF COMPETITIVE AUTHORITARIANISM』)。競争的権威主義体制とは周期的な選挙は行われるが、マスメディアの支配や野党への圧力、不当な選挙区の区割りなど執政党に有利な状況を作為的に作り、そのもとで政権を握り続けるという政治体制のことである。宇山智彦『権威主義の進化、民主主義の危機』(村上勇介・帯谷知可 編『秩序の砂塵化を超えて』に収録)では権威主義体制がポピュリズムに支えられているという指摘がされている。すなわち、国民の中で多数派に所属する集団─ この場合民族や宗教、職業などアイデンティティが顕在化しやすい特徴が用いられるであろう─を囲い込み、彼らを導く指導者として自らを象るということだ。マレーシアにおける権威主義体制はまさに民族によるポピュリズムに支えられている(Kua Kia Soong 『Racism & Racial Discrimination in Malaysia』はマレーシアにおいて、政府は人種差別を用いて先住民族の政治的忠誠心を維持していることを指摘している)。
ではポピュリズムを濫用する指導者たちは何に依拠しているのであろうか。有り体に言ってしまえばカネである。マレーシアでは1969年5月13日にマレー系民族と中華系民族との間で対立が激化し暴動に発展した。これを「5月13日人種暴動」(May 13 Racial Riot)と現地では呼んでいる(マレーシアでは人種(Race)と民族(Ethnicity)が混同されて用いられている)。その原因の一つに民族間で経済格差があったことが政府より指摘されており、この人種暴動をきっかけとして1970年代よりマレー系先住民族を優遇する新経済政策が推し進められた(例えば高等教育におけるマレー系民族のクォータ制や中華系民族が持つ資本をマレー系民族に移す政策などがある)。マレー系民族の経済的地位向上のために様々な政策が打ち出されたが就中マレー系民族の国有企業や公務員への雇用が顕著な例であろう(マレー人の中でも国有企業や公務員が特に与党の支持層であることは塩崎『なぜPASは「UMNOにとって代わる」ことができなかったのか?』で指摘されている)。
これまでの議論を一言でまとめると以下のようになる。すなわち、「与党は多数派の民族に経済的恩恵を与えることで政権を握り続けてきた」ということだ。
これが意味するのは民族的な対立が感情的なものに支えられているというよりも個人の利益追求に支えられているということである。仮に感情だけに支えられてきたのであればマレー系民族が盲目的に与党に投票するのであれば2018年の第十四回総選挙で史上初の政権交代が起きることはなかったであろう。
以下の議論では用語が煩雑になるため、ここでマレーシアの政治について用語の整理と政治的な背景を簡単に説明する。
連合(Alliance)政権樹立 → 国民戦線政権発足 → 政権交代(希望連盟政権発足)
今までの議論で与党と称していたのは上のチャートで言う連合政権と国民戦線政権のことである(国民戦線の全身が連合である。マレー系民族はこの国民戦線を支持すると言われている)。そして2018年の総選挙で野党であった希望連盟(支持基盤の中心は中華系と言われている)が過半数の議席を占めて初めての政権交代を実現させた。
ここではその政権交代の意義を、有権者の投票行動に着目しながら分析してみたい。データ分析にあたってはベイズ統計による回帰分析を用いる。頻度論を用いない理由はベイズ統計の方がより直観に近いと考えたからである。
社会科学のデータ収集によくある問題であるが、得られるデータには限りがあるため、それらを有効活用しながらモデルを作成する。まずは各選挙区における民族集団の割合である。マレー系民族が国民戦線を支持し、中華系が希望連盟を支持するとするならばマレー系と国民戦線に正の相関関係、中華系と希望連盟に正の相関係数が見受けられるし、逆もまた然りでマレー系と希望連盟に負の相関関係、中華系と国民戦線に負の相関関係が見られるだろう。次に平均所得である。もし国民戦線の政治的存在意義が経済発展にあるのならば国民戦線の支持率と所得に正の相関が見られるであろう。そして三つ目の独立変数として連邦土地開発庁(FELDA)が支援している地域かどうかのダミー変数を与える。これは農村の開発を目的としたものであるが、国家主導で農村に経済的恩恵を与える制度である。そのためFELDA管轄の地域であれば国民戦線を支持すると考えられる。これらの仮説をモデル化すると、
となり、β1は民族集団の割合、β2は平均所得、β3はFELDAかどうかと言うダミー変数に対応する係数である。μは平均値であり、応答変数yはμに分散σの2乗をプラスマイナスしたものである。
解析にはRとRStanを用いた。コードは以下の通りである。
# R # 必要なライブラリのインポート--------------------- library(rstan) # 計算の高速化---------------------------------- rstan_options(auto_write=TRUE) options(mc.cores=parallel::detectCores()) # 解析のためのデータを格納する--------------------- ge14 <- read.csv("ge14.csv") # データのインポート # 希望連盟、マレー人モデル data1 <- list(N=length(ge14$PH_SHARE) , VOTE_SHARE=ge14$PH_SHARE , ETHNICITY=ge14$MALAY , INCOME=ge14$INCOME , FELDA=ge14$FELDA ) # 希望連盟、華人モデル data2 <- list(N=length(ge14$PH_SHARE) , VOTE_SHARE=ge14$PH_SHARE , ETHNICITY=ge14$CHINESE , INCOME=ge14$INCOME , FELDA=ge14$FELDA ) # 国民戦線、マレー人モデル data3 <- list(N=length(ge14$BN_SHARE) , VOTE_SHARE=ge14$BN_SHARE , ETHNICITY=ge14$MALAY , INCOME=ge14$INCOME , FELDA=ge14$FELDA ) # 国民戦線、華人モデル data4 <- list(N=length(ge14$BN_SHARE) , VOTE_SHARE=ge14$BN_SHARE , ETHNICITY=ge14$CHINESE , INCOME=ge14$INCOME , FELDA=ge14$FELDA ) # 解析----------------------------------------- # 希望連盟、マレー人モデル model1 <- stan( file="ge14.stan" , data=data1 , iter=40000 , warmup=8000 , seed=1234 ) # 希望連盟、華人モデル model2 <- stan( file="ge14.stan" , data=data2 , iter=40000 , warmup=8000 , seed=1234 ) # 国民戦線、マレー人モデル model3 <- stan( file="ge14.stan" , data=data3 , iter=40000 , warmup=8000 , seed=1234 ) # 国民戦線、華人モデル model4 <- stan( file="ge14.stan" , data=data4 , iter=40000 , warmup=8000 , seed=1234 ) # 解析結果の出力----------------------------- print(model1, probs = c(0.025, 0.5, 0.975)) # 希望連盟、マレー人モデル print(model2, probs = c(0.025, 0.5, 0.975)) # 希望連盟、華人モデル print(model3, probs = c(0.025, 0.5, 0.975)) # 国民戦線、マレー人モデル print(model4, probs = c(0.025, 0.5, 0.975)) # 国民戦線、華人モデル
// Stan (C++) // データの指定 data { int<lower=0> N; // データの個数 real VOTE_SHARE[N]; // 従属変数:各政党の得票率 real ETHNICITY[N]; // 独立変数1:民族集団の割合 real INCOME[N]; // 独立変数2:平均家庭収入 real FELDA[N]; // 独立変数3:FELDAかどうかのダミー変数 } // パラメータの指定 parameters { real Intercept; // 切片 real beta1; // 回帰係数1:民族集団の割合と対応している real beta2; // 回帰係数2:平均家庭収入と対応している real beta3; // 回帰係数3:FELDAかどうかのダミー変数と対応している real<lower=0> sigma; // 分散 } // モデリング model { for (i in 1:N) { VOTE_SHARE[i] ~ normal(Intercept + beta1 * ETHNICITY[i] + beta2 * INCOME[i] + beta3 * FELDA[i], sigma); } }
結果は
# 希望連盟 = マレー系 + 所得 + FELDA mean se_mean sd 2.5% 50% 97.5% n_eff Rhat Intercept 0.93 0.00 0.02 0.89 0.93 0.96 52572 1 beta1 -0.72 0.00 0.03 -0.78 -0.72 -0.66 53242 1 beta2 0.05 0.00 0.01 0.03 0.05 0.06 70962 1 beta3 -0.04 0.00 0.01 -0.06 -0.04 -0.01 69046 1 sigma 0.08 0.00 0.00 0.07 0.08 0.09 91712 1 lp__ 329.48 0.01 1.71 325.21 329.84 331.72 39066 1
# 希望連盟 = 中華系 + 所得 + FELDA mean se_mean sd 2.5% 50% 97.5% n_eff Rhat Intercept 0.25 0.00 0.01 0.22 0.25 0.27 59867 1 beta1 0.81 0.00 0.04 0.74 0.81 0.88 62447 1 beta2 0.05 0.00 0.01 0.04 0.05 0.07 80142 1 beta3 -0.03 0.00 0.01 -0.06 -0.03 0.00 71086 1 sigma 0.09 0.00 0.00 0.08 0.09 0.10 87075 1 lp__ 315.20 0.01 1.71 310.97 315.55 317.47 41508 1
# 国民戦線 = マレー系 + 所得 + FELDA mean se_mean sd 2.5% 50% 97.5% n_eff Rhat Intercept 0.15 0.00 0.02 0.11 0.15 0.19 54037 1 beta1 0.27 0.00 0.03 0.21 0.27 0.32 54638 1 beta2 -0.02 0.00 0.01 -0.04 -0.02 -0.01 74671 1 beta3 0.08 0.00 0.01 0.05 0.08 0.11 92119 1 sigma 0.08 0.00 0.00 0.07 0.08 0.09 101022 1 lp__ 328.75 0.01 1.63 324.73 329.09 330.89 50261 1
# 国民戦線 = 中華系 + 所得 + FELDA mean se_mean sd 2.5% 50% 97.5% n_eff Rhat Intercept 0.40 0.00 0.01 0.38 0.40 0.43 65830 1 beta1 -0.31 0.00 0.03 -0.37 -0.31 -0.24 70916 1 beta2 -0.02 0.00 0.01 -0.04 -0.02 -0.01 88611 1 beta3 0.07 0.00 0.01 0.04 0.07 0.10 82706 1 sigma 0.08 0.00 0.00 0.07 0.08 0.09 93668 1 lp__ 327.73 0.01 1.64 323.67 328.07 329.89 51665 1
所得以外は仮説と合致している。所得については仮説と正反対の結果となっている。
所得が高い選挙区では希望連盟が多く票を獲得している(相関係数は0.6)。
しかし所得が高い選挙区でもPutrajayaと言う選挙区(マレーシアの平均所得はMYR7223であるのに対して
PutrajayaはMYR12840である)では国民戦線の得票率は高い(国民戦線の平均得票率が34%なのに対してPutrajayaでは45%である)。Putrajayaは行政都市であり、住民の大半が公務員である。これが意味するのは塩崎の指摘通り、公務員は国民戦線を支持する傾向にあることだ。また、FELDAと国民戦線に見られる正の相関関係からもわかる通り、国家から経済的恩恵を得られるかどうかが国民戦線に対する政治的忠誠心を持つかどうかに影響を及ぼしていると言うことだ。これを確認するために首相の支持率と景気の関係を状態空間モデルによって検証する。
上記のモデルでは平均値μは一期前の状態に白色雑音を加えたものであり、状態方程式αは平均値μと事変係数x、及びその係数βを掛け合わせたものを足したものである。観測方程式yは状態方程式αに白色雑音を加えたものである。ここで用いる事変係数は国民が経済に抱く問題意識である。データはMerdeka Centreが行った調査から取得した。データはパーセンテージで表され、100%が最も高い状態、0%が最も低い状態であり、このデータから国民がどれくらい景気を不安視しているかがわかる。観測値としては同じくMerdeka Centreが行った調査の首相支持率を与えている。これによって景気への懸念と首相への支持率との関係がモデル化できる。
# R library(ggplot2) library(ggfortify) library(rstan) library(bayesplot) library(ggfortify) library(gridExtra) app <- read.csv("approval.csv") app$Date <- as.POSIXct(app$Date) autoplot(ts(app$Approval)) par(new=T) data_list <- list(y = app$Approval , ex = app$Economic , T = nrow(app)) options(max.print=100000) time_varying_coef_stan <- stan( file="approval.stan", data = data_list, seed = 1, iter = 30000, warmup = 2000, thin = 6 ) time_varying_coef_stan$lp__ print(time_varying_coef_stan, pars = c("s_w", "s_t", "s_v", "b[61]"), probs=c(0.05,0.5,0.95)) mcmc_sample <- rstan::extract(time_varying_coef_stan) source("plotSSM.R", encoding="utf-8") p_all <- plotSSM(mcmc_sample = mcmc_sample, time_vec = app$Date, obs_vec = app$Approval, state_name = "alpha", graph_title = "Estimation Result:State", y_label = "Approval Rate") p_mu <- plotSSM(mcmc_sample = mcmc_sample, time_vec = app$Date, obs_vec = app$Approval, state_name = "mu", graph_title = "Estimation Result:Excluding Economic and Regime Change Effects", y_label = "Approval Rate") p_b <- plotSSM(mcmc_sample = mcmc_sample, time_vec = app$Date, state_name = "b", graph_title = "Estimation Result: Economic Effect", y_label = "coef") grid.arrange(p_all, p_mu, p_b)
data { int T; vector[T] ex; vector[T] y; } parameters { vector[T] mu; vector[T] b; real<lower=0> s_w; real<lower=0> s_t; real<lower=0> s_v; } transformed parameters { vector[T] alpha; for (i in 1:T) { alpha[i] = mu[i] + b[i] * ex[i]; } } model { for (i in 2:T) { mu[i] ~ normal(mu[i-1], s_w); b[i] ~ normal(b[i-1], s_t); } for (i in 1:T) { y[i] ~ normal(alpha[i], s_v); } }
解析結果は以下の通りである
# 状態空間モデル解析結果 mean se_mean sd 5% 50% 95% n_eff Rhat s_w 0.03 0 0.02 0.01 0.03 0.07 1409 1 s_t 0.09 0 0.03 0.03 0.09 0.13 2801 1 s_v 0.04 0 0.01 0.02 0.04 0.06 2893 1 b[61] -0.20 0 0.25 -0.59 -0.21 0.23 8128 1
結果からもわかるとおり、景気への懸念が高まると首相への支持率が下がる傾向にある(下図)。2018年5月ごろに、例外的にプラスになっているがそれは政権交代によって首相の支持率が高まったことに起因していると考えられる(ハネムーン期間)。
これまでの議論から、経済的恩恵を国民に与えることで政治的忠誠心を維持するマレーシアにおいては基本的に経済的恩恵を支持層と見込まれる集団に国家主導で与え続けないといけないことがわかった。民族の政治はマレー系/中華系の分断のように単純視されることが多いが、経済的利益を追求する個人の選択を考慮した分析が今後求められる。民族の政治とは利益分配の結果であると考えられる。